山上へと向かうケーブルカー
昔の人は、九度山の慈尊院から高野山へ至る約20キロの参詣道・高野山町石道を一町(109m)ごとに建てられた石造の卒塔婆を数えながら登ったのでしょうか。
今では、南海高野線極楽橋駅から、最大傾斜562.8‰(パーミル:斜度では約30度)の急勾配をケーブルカーに乗って山上へ。約5分で終点・高野山駅につきます。ここからはバス。日頃の喧噪から逃れ、深山幽谷の聖地へと続きます。
※町石道の散策マップは
こちらからダウンロードできます。
天空の聖地をめぐる
金剛峯寺へ真言密教の根本道場 壇上伽藍
平安時代、弘法大師・空海が真言密教の根本道場として開創した高野山。標高約900m、盆地状になった周囲約15キロの中に、壇上伽藍と人々が暮らすまちが一体となっています。
高野山真言宗の総本山・金剛峯寺。高野山真言宗の総本山で、全国真言宗の総本山でもあり、全国3600に及ぶ末寺の宗務を執っています。明治2年(1869年)、興山寺と秀吉が建てた青厳寺と合併して金剛峯寺と改称しました。歴史に名を残す絵師が手がけた襖絵で飾られた部屋や、豪壮な台所のほか、秀次切腹の間や蟠龍庭、日本最大の石庭などが拝観できます。
金剛峯寺から道を隔てたところにある弘法大師の持仏堂・御影堂、一山の総本堂・金堂など諸堂が建ち並ぶ壇上伽藍でひと際目をひくのが、高さ48.5mの白と赤のコントラストも鮮やかな根本大塔。内陣には中央に胎蔵界大日如来、四方に金剛界四仏、そして周囲の16本の柱には、堂本印象画伯による十六大菩薩、壁面には真言八祖像と花鳥が描かれています。
三鈷の松
三鈷の松
金堂と御影堂の中間に、瑞垣で囲まれた松の木は三鈷の松と呼ばれています。
弘法大師が唐へ留学し密教を修め、日本へ帰る直前、「日本へ帰ったのち、私が密教を教え広めるのに適した地があったなら、その場所を示せ」と言って、三鈷杵と言う法具を、日本へ向けて投げられました。その三鈷杵が飛来して掛かったのがこの松の木です。普通は2本に分かれた葉がこの松の葉は3本に分かれており、弘法大師のお話とあわせて、大切に祀られるようになりました。この三葉の葉を財布にいれておくと、幸福になれるとか、お金が貯まるといわれ、松の木の周囲で落ち葉を探し、お守り代わりに拾って帰られる方も多いようです。
甦った「中門」
完成間近の中門
壇上伽藍の入口となるところに建つ「中門」。高野山の歴史の中で、焼失と再建を繰り返してきましたが本年、開創1200年を記念する主要事業として、172年ぶりに再建されました。
東西25m、南北15m、高さ16m、朱色も鮮やかな門には、類焼をまぬがれ、根本大塔に奉安されていた持国天像と多聞天にあわせ、増長天と広目天が新造され四天王が揃います。4月2日に、開創大法会開白・中門落慶大曼荼羅供が執り行われ、一般にも公開されますので、ぜひその姿を拝んでみてください。
壇上伽藍から道をはさんで建つ霊宝館は、高野山の貴重な文化遺産を保存・展観する施設。仏像、仏画、仏具など国宝21件、重要文化財143件など2万8千点弱を収蔵するほか、総数8万点近くを収蔵、展示しています。数々の寺宝に、1200年の歴史の重みが感じられます。
歴史上の主人公達が集う奥之院
奥之院へ
壇上伽藍から東へ。弘法大師御入定の地である奥之院は、弘法大師信仰の中心聖地として高野山の聖域とされています。
一の橋から御廟まで約2kmの参道は、杉の大木の合間に、20万基を超す墓碑や記念碑、慰霊碑が建ち並ぶ厳かな空間です。墓碑を見ると、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉などの武将をはじめ、今、昔を通して名を馳せた人々の名前が飛び込んできます。敵味方、上下の関係なく、皆この聖地で永遠の時を刻んでいるのでしょうか。
■高野山開創1200年
平成27年、高野山は弘法大師空海の手で密教の道場が開かれてから1200年目を迎えます。高野山では平成27年に行われる記念大法会(~5月21日)を中心に、金堂・御本尊特別開帳、金剛峯寺・持仏御本尊開帳など、その歴史、魅力を伝える数々の催事がおこなわれます。
今しか見られない高野山へ是非お出かけください
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■高野山へのアクセス
情報提供/歴史街道推進協議会