ならまち 奈良町資料館
ならまち 庚申堂
ならまち 奈良晒しの店
近鉄奈良駅を降りて地上への階段を上がっていくと、行基像が迎えてくれます。
東大寺に向かって立っている行基像の前を通って、商店街へ。通りを抜けると、左手に猿沢の池が見えてきます。猿沢の池では、池の岩の上に並んで甲羅干しをする亀をよくみかけます。
猿沢の池の南、「ならまち」は、元興寺旧境内を中心とした地域で、平城京の外京にあたり、当時の道筋をもとに発展した長い歴史を持っています。白壁の土蔵や格子戸、格子窓など、江戸末期から明治時代にかけての町家が残り、懐かしい雰囲気が漂います。
まちのあちこちでは、軒先からぶらさがるユニークな赤いぬいぐるみの猿が目をひきます。猿は庚申さんのお使いとか。身替り猿と呼ばれる魔よけのお守りです。
迷路のような小路をぬって歩くと、伝統的な町家を再現した「ならまち格子の家」や、伝統工芸品・奈良晒しで、のれんやコースターなどの小物もあつかうお店に行きあたります。奈良の麻製品は有名。「奈良晒に関する記録は、古くは古事記にさかのぼり、桃山時代、従来の生産方法の改良に成功し、一気に盛んになったとか。その後、麻織物が奈良を代表する一級品としてその名が知れ渡ったのは、江戸時代初めのこと」。この麻でつくられた蚊帳も、奈良は、全国の90%のシェアを占めるほどの生産量でした。今は、布巾やコースターなどの小物やのれんやテーブルクロスなど、ちょっと小粋な製品が売られています。
ならまちに残る趣のある町家の屋根を注意して見ていると、鍾馗さまでしょうか。特徴ある像が屋根の上からあたりを睥睨しています。ならまちでは、良くみる光景とのこと。訪問された時は、屋根も注意して見てください。
鬼がいる?世界遺産・元興寺
元興寺境内
元興寺境内 ここにも鬼が
元興寺塔頭跡
世界遺産・元興寺は、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺が前身とか。創建当時の広大な面影はなく、極楽坊とよばれる本堂と収蔵庫が残されています。僧坊と呼ばれる宿舎を核として鎌倉時代に増築された独特の建築物で、一部に飛鳥時代のものが残されており、屋根瓦の巴の文様を見るとその違いがわかります。また、東大寺など国家の宗教寺院と異なり、民衆の救済のための寺院の側面をもつ元興寺には、陰陽道などがいりまじり、いろいろな形であの世へのつながりが残されているとか。そのひとつ、元興寺には、鬼をデザインした「元興神ストラップ」があります。これは、『その昔、元興寺の鐘楼に悪霊の変化である鬼が出て、都の人たちを随分こわがらせたことがあります。その頃、尾張国から雷の申し子である大力の童子が入寺し、この鬼の毛髪をはぎとって退治したという有名な説話があります(元興寺HPより)』というお話から。境内には、いつから置かれたのか、ユニークな鬼の置物がそこここに。どこにあるのか、探してみるのも一興です。
また、元興寺の往時の規模はならまちを歩いてみると良くわかります。元興寺塔頭跡では、東塔の礎石から、約50mの高さの塔が建っていたと推測されます。あちこちに、「跡」の碑が残されていますので、注意して見てください。
文豪が愛したまち・高畑
高畑・新薬師寺前
奈良町から東へ。春日原始林に連なる高円山を背に、新薬師寺、白毫寺といった古刹が点在する高畑界隈は、古くから続く春日大社の社家町です。大正から昭和の初め頃に文化人のサロンとされていたところで、ここには、大正から昭和の初め、白樺派の文豪・小説「暗夜行路」で知られる志賀直哉や足立源一郎画伯をはじめ、多くの文人や有名画家の自宅が軒を連ねていました。
光明皇后が、聖武天皇の眼病平癒を祈り、行基に建立させたという新薬師寺では、本尊の薬師如来坐像と、それを囲む迫力ある十二神将立像を見ることができます。
大和路を撮り続けた写真家・故入江泰吉氏の作品約8万点を中心に展示する入江泰吉記念奈良市写真美術館も是非、立ちよりたいポイントです。
■周辺の見所
鎮宅霊符神社
鎮宅霊符神社のユニークな狛犬
この神社が建つ地域は「陰陽町(いんようちょう)」。陰陽師と深い関わりを感じます。神社の名前も「家を鎮める」。これは陰陽師の大切な仕事。神社と言いつつ、その造りは独特で普通の家屋のような感じ。ここはならまちの境にあたるところ。鬼伝説のある元興寺を中心とした下町であるならまちのここが境。ここの神社の狛犬の表情は非常にユニーク。一見の価値ありです。
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■ならまちへのアクセス
情報提供/歴史街道推進協議会