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坂東 巳之助「今は何でも挑戦できる時期年齢を重ねるごとに味ある役者に」
二代目 坂東巳之助(にだいめ ばんどうみのすけ)/1989年、9月16日生まれ。東京都出身。屋号は大和屋。1995年歌舞伎座『蘭平物狂(らんぺいものぐるい)』の繁蔵と『寿靫猿(ことぶきうつぼざる)』の子猿で二代目坂東巳之助を襲名し初舞台を踏む。その後、歌舞伎や舞台だけでなく、三谷幸喜監督の『清須会議』をはじめ、映画やテレビなどでも幅広く活躍中。
坂東 巳之助 インタビュー

 歌舞伎の舞台ではもちろんのこと、テレビや映画への出演でも活躍する若き歌舞伎俳優。特に、様々な役に積極的に取り組み、急速に力をつけているのが坂東巳之助さんだ。坂東三津五郎さんの長男として、周囲の期待が高まる中、3月には京都の南座『三月花形歌舞伎』でその実力を印象づけた。また6月には、大阪松竹座『母をたずねて膝栗毛』の出演を控えているという。


 「2月に東京・新橋演舞場で皆さんに楽しんでいただいた『母をたずねて膝栗毛』が、今度は大阪松竹座に登場します。歌舞伎の舞台で大阪には何度も伺っているのですが、今作のような喜劇を演じさせていただくのは初めて。お笑いに厳しい関西なので、身が引き締まる思いです。しかし、共演者の方々は様々なジャンルでご活躍されている素晴らしい俳優さんばかり。きっと東京で演じたものよりさらに進化した作品をお届けできると思います。また、今作は歌舞伎とは違い、笑いが絶えない新作喜劇。難しい話は全くなく、頭の中を空っぽにして観ていただけるお芝居なので、皆さんもどうぞお気軽にお越し下さい。僕自身も関西の皆さんに喜んでいただけるよう藤山直美さんからお笑いに関するアドバイスをいただこうと思います(笑)」。




 そう、はにかみながら話す彼は爽やかな青年そのもの。しかし、歌舞伎の舞台に立てば一変し、気迫のこもった演技に圧倒される。小さい頃から父親の厳しい指導を受けてきた彼は、偉大なる歌舞伎役者・坂東三津五郎さんをどのように見つめ続けてきたのだろうか。
 「僕が今更言うまでもないですが、やはり父親は歌舞伎俳優としては素晴らしいと思いますし、尊敬もしています。ただ、幼い頃はそんな父親を認められない時期もありました。これは歌舞伎の世界で生きる家庭ならではなのですが、日常の生活に父親と師匠がどうしても混ざってしまうので素直に受け止めきれないんです。ただ、僕も成長して父は父、三津五郎は三津五郎と区別できるようになり、歌舞伎に対しても前向きな考えになれたのだと思います。これからも僕は父親を追いかけるでしょうが、まず今は先のことを考えるより、目の前に与えていただいたものに一生懸命取り組んでいきたいですね。そして、時がたって自分がどのような役者になっているのか楽しみにしていたいです」。




 歌舞伎以外にテレビ・映画と活躍する巳之助さん。彼が父親と同じく尊敬するのは素敵に年齢を重ねられた俳優さんたちだと話す。
 「ある年齢を超えられた俳優さんは、とてもたくましいといつも思います。世の中に芸ごとがあふれていた時代に生き抜いてきた俳優さんはやはり深みが違うなと。歌舞伎、現代劇に関わらず自然と尊敬の思いが込み上げてきますね。また、父親は〝芸の道は坂道ではなく階段だ〟とよく言いますが、皆さんもスランプに陥ったり、大きな壁にぶつかりながらも、階段のように一つひとつ上ってきたのでしょう。僕もそうやって芸を磨いていきたいと思います」。




育ってきた環境上、大阪松竹座をはじめ、京都の南座とよく訪れていた巳之助さん。最後に、お気に入りのスポットを伺うと…。


「最近は京都に関する番組で、寺院にお伺いする機会が多いんです。印象的だったのは、大本山相国寺さん。大学が近いので境内が通学路になっていて、”京都の皆さんはこんな立派なお寺が生活の一部なのか!”ととても驚きました。お気に入りというよりは衝撃的だった場所です(笑)」。
 歴史ある建物と共存する京都の人々も好きだと話す巳之助さん。今後、そんな京都で様々な舞台に挑戦し、飛躍的な成長を遂げる姿を見届けたい。


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