美しく甦った姫路城大天守
往時のまま残されている石垣
兵庫県姫路市にある姫路城。実際に訪れたことがない人でも、写真や映像など、どこかで目にしているおなじみのお城。黒澤明監督の『影武者』『乱』、テレビドラマ『暴れん坊将軍』、ハリウッド映画では『ラストサムライ』『007は二度死ぬ』などで再三江戸城の天守閣として登場したお城です。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての建築技術の粋を極めた傑作といわれ、軍事的・芸術的にもっとも完成された文化財として1993年12月、法隆寺とともに日本で最初に世界文化遺産に登録されました。
城は、五重六階の大天守と三つの小天守が渡櫓でつながり、白漆喰総塗籠造の華やかな連立式天守閣。空に向かって建ち並ぶ天守群と白く美しい白壁の広がり、天を舞う白鷺のように見えることから、別名白鷺城ともいわれます。築城から400年あまり、戦災にあうことなく残された極めて貴重な城郭です。
大天守は5年にわたる保存修理工事を終え、平成27年3月27日から一般公開が再開されます。
数奇な運命をたどった千姫
千姫化粧櫓 姫路城の西の丸には「西の丸長局(百間廊下)」と「千姫化粧櫓」があります。
徳川家康の孫・千姫が持参した十万石の化粧料で建てられたという化粧櫓のすぐ下の自然石には千姫の「春やむかしの 夢の跡 子節」という歌碑が刻まれています。
浅井三姉妹の三女・お江と徳川二代将軍秀忠の娘として生まれた千姫も、時代の流れに翻弄された女性の一人。わずか7歳で豊臣秀頼のもとへと嫁ぎますが、夫・秀頼は結局、大坂夏の陣で、父と祖父に滅ぼされ、落城とともに自害してしまいます。愛しい者同士の争いを目の当たりにした千姫の胸中はどのようなものだったのでしょうか。
大坂城から救出された千姫は、桑名城主本多忠政の子・忠刻と結婚。姫路城へと移り住みました。忠刻との間には一男一女が産まれ、幸せな時を過ごしていましたが長くは続かず、長男の幸千代は3才で早逝、夫の忠刻も寛永三年31才で世を去りました。千姫は、同年落飾して天樹院と号し、悲しみのうちに姫路を発ち、徳川家に帰っていきました。
姫路城に伝わる怪談
「播州皿屋敷」にでてくるといわれるお菊井戸
広大な姫路城内、上山里丸と呼ばれる広場にある「お菊井戸」。これは怪談話で有名な「播州皿屋敷」に出てくる井戸だといわれています。
『城主の執権青山鉄山が城の乗っ取りを計画。これに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み陰謀を暴きますが、青山一家のクーデターは成功。それでも青山家に残り情報を送り続けるお菊は、ついに町坪弾四郎に気づかれ、それを盾に結婚を迫られます。しかし、首を縦に振らないお菊に腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込みました。それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます』。夏の定番ともいえるお話です。
お城を眺めながら城下町を散策
姫路の魅力はお城だけではありません。城に隣接してある好古園は、西御屋敷跡の発掘調査によって復元された庭園。街路、屋敷割り、長屋門、築地塀、屋敷門のほか9つの庭園があります。
また、「兵庫の歴史」と「城と城下町」をテーマとした常設展示する兵庫県立歴史博物館のガラスの壁面に映る姫路城は圧巻。明治38年に建てられた旧陸軍第10師団の兵器庫を保存活用した姫路市立美術館などの周辺の施設や、のこぎり横丁など城下町の雰囲気を残す街並みをのんびり散策するのもお薦めです。
■周辺の見どころ
西の比叡山 書写山圓教寺
姫路市の北部にある標高370mの書写山。山頂には、西の比叡山と称される天台宗の古寺で西国27番札所でもある圓教寺が建っています。山頂へはロープウェイで。ここからは徒歩か、マイクロバスが利用できます(入山には拝観料 500円が必要)。
本堂まで徒歩で坂道を登っていくと、西国三十三箇所の観音様が建っています。本堂は、山肌に建てられ、清水寺と同じ舞台づくり。本堂に上がる途中で見上げるとその美しさを堪能できます。
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情報提供/歴史街道推進協議会