荘厳な雰囲気がただよう石上神宮
奈良県天理市は、最古の官道のひとつ「山の辺の道」が通るまち。
天理駅から徒歩約20分、世界各地の生活文化資料・考古美術資料を研究・展示する天理参考館があります。そこからさらに歩いて約15分。県道51号を渡ると石上神宮の参道へと続きます。
車の行き交う県道から、社の境内に入ると雰囲気がガラッと変わります。そこには、悠然と闊歩する多数の鶏が目を引き、何かしら厳かな雰囲気が漂います。
「石上布留の神杉神さびし 恋をも吾はさらにするかも」と、柿本人麻呂が万葉集にうたっている石上神宮は、現存する日本最古の拝殿をもち、百済王が倭王に献じたのではといわれる七支刀や素盞鳴尊が八岐大蛇を退治したと伝わる天羽斬剣など、神庫には数多くの武器が収められています。
神宮の前からは、奈良盆地の東に連なる美しい青垣の山裾を縫うように「山の辺の道」が続いています。
花の寺・長岳寺
花の寺・長岳寺
天理市トレイルセンター
山の辺の道を南へ。1114年、鳥羽天皇の勅願により創建されたと伝えられる内山永久寺跡、戦国乱世の時代、人々が自衛のために、村の周囲に濠をめぐらして外敵を防いだ竹之内と萱生の環濠集落、大和(おおやまと)古墳群のひとつ衾田陵(西殿塚古墳)などをたどり約5キロ。824年、淳和天皇の勅願で弘法大師が創建したと伝わり、鐘楼門や旧地蔵院本堂、本尊の阿弥陀三尊など多くの文化財が残る長岳寺があります。中でも桃山時代の狩野山楽筆、総幅11m、縦3.5mにおよぶ全9幅の大地獄絵図は圧巻(10月23日~11月30日の期間のみ公開)。1万2千坪にわたる境内は四季折々に花が彩り、特に秋の紅葉は見事で、「全国紅葉100選」に選ばれています。
長岳寺の近くにあり、歴史街道のiセンターでもある天理市トレイルセンターは、休憩所にもなっており、シャワーなどの施設もありますので、山の辺の道散策の拠点施設として利用してください。
万葉歌碑をたどる
山の辺の道に建つ万葉歌碑
長岳寺の手前の稲田の畦(あぜ)に、万葉学者の犬養孝氏揮毫(きごう)による柿本人麻呂の万葉歌碑があります。万葉の歌人、柿本人麻呂が詠んだこの歌には、「引手の山に妻の亡きがらを置いて山路を帰ると、心に穴があいて生きた心地もしない」という妻を失った人麻呂の深い悲しみが込められています。
衾道とはこの辺りの地名で、引手の山とは東にそびえる龍王山ではないかと考えられています。
この山には、6~7世紀にかけて造られた奈良県最大級の群集墳である龍王山古墳群や、中世の豪族、十市氏が築いた大和を代表する山城・龍王山城跡があります。最も高い山頂付近に南城跡、その北尾根に北城跡など、あちらこちらに土塁や竪堀の跡が残ります。また山頂からの眺めは素晴らしく、大和三山など奈良盆地を一望することができます。
卑弥呼のロマンを感じる黒塚古墳
黒塚古墳
山の辺の道を離れて西へ、JR柳本駅へと歩いていくと、右手に島のような古墳が見えてきます。黒塚古墳です。衾田陵(西殿塚古墳)と同じく大和古墳群に属する全長130mの前方後円墳は、1997年の発掘調査で、33面の三角縁神獣鏡が出土したことで話題になりました。石室が早くに崩壊したために盗掘にあわなかったとか。隣接する資料館で発掘時の竪穴式石室の様子をみることができます。
奈良市の春日山麓から大和盆地の東、天理を経て桜井の金屋にいたる約26キロの自然のままの山の辺の道には、今も、記紀・万葉集ゆかりの地名や伝説が残り、神さびた社や古寺、古墳などが点在しています。
地元のボランティアガイドの方に案内をお願いし、話をうかがいながら散策すると、また違って風景が見えてきます。
天理市山の辺の道ボランティアガイドの会
■周辺の見所
大和神社
天理市・上ツ道沿いに建つ大和神社は、伊勢神宮と並ぶ最古の神社で、延喜式には「大和坐大国魂神社」と記されています。境内には、戦艦大和の鎮魂碑があります。戦艦大和の艦長は出艦前に大和神社に詣で、守護神として艦上には大和神社の分霊がまつられていたとか。
9月23日には、江戸時代、干ばつに苦しむ農民が大和神社に雨乞いを行い、願いが成就し豊作となり、感謝の気持ちを踊りで奉納したのが始まりと言われる五穀豊穣を祈る秋の大祭「紅幣踊り」(天理市無形文化財)がおこなわれます。
最古の神社・大和神社
戦艦大和の鎮魂碑
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■天理市へのアクセス
情報提供/歴史街道推進協議会