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歴史コラム

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第65回 日本庭園の変遷を巡る⑦(室町時代/慈照寺庭園)

観音堂銀閣


展望所からの眺望

金閣寺とともに室町文化を代表するのが、室町幕府の第8代将軍義政が営んだ銀閣寺。公家文化と武家文化、さらに禅僧のもたらした中国文化などが融合し、後世に大きな影響を残した東山文化が花開いたのがこの義政の時代である。
東山に位置する銀閣寺は、京都の東大文字山の西麓にあり、義政が晩年に住んだ山荘・東山殿を没後に寺院に改めたもので、寺の正式名称は「慈照寺(じしょうじ)」という。中心となる観音堂が、江戸時代頃から金閣と対比されて「銀閣」と呼ばれたため、現在では通称銀閣寺として知られている。
足利家は尊氏以来深く観音を信仰しており、将軍邸には常に観音堂がつくられた。銀閣は東山殿における観音堂である。きらびやかな金閣(舎利殿)をつくった義満の時代は幕府の力が確立した時期で、対明貿易による豊富な財力があった。それに対して義政の頃は、京都を焼き尽くした応仁の乱により幕府・将軍の権威は失墜していた。応仁の乱の真最中に将軍職を息子の義尚(よしひさ)に譲った義政は、乱がおさまると政治の世界から完全に身を引き、茶道、建築、造園などに没頭、晩年は銀閣造営に心血を注いだ。乱後の変動の激しい時期にあって、造営のための経費、資材、労力等の不足により工事は極めて難航し、1482年から義政が亡くなる1490年までの長期にわたっている。

西芳寺を手本として


東求堂前の白鶴島三尊石(左側)

義政は銀閣寺庭園の造営にあたり、祖父義満の金閣寺庭園を強く意識し、金閣寺庭園同様、禅僧夢窓国師が造営した西芳寺を手本にしている。夢窓に心酔していた義政は、記録に記されているだけでも二十数回西芳寺を訪れ、全体の構成、池の形、石の組み方、建築の名称などを詳細に調べ上げたようだ。西芳寺の下段に池泉庭、上段に枯山水という二段構成は、銀閣寺でも踏襲されている。
西方浄土での往生を願って阿弥陀仏を本尊として造営した持仏堂(東求堂)は西芳寺の西来堂(さいらいどう)を参考にしたもので、この来世的世界を示す東求堂の造営の直後に現世利益につながる観音堂(銀閣)が完成する。
銀閣は西芳寺にあった瑠璃殿や金閣を参考にしながら建立され、室町時代のものとしては現存唯一の楼閣建築で、書院造風の住宅意匠を取り込んだ東山文化を代表する建築である。初層の「心空殿(くうしん)」は住宅風書院、上層の「潮音閣」は和様と禅宗様の混在する仏堂で観音像が安置されている。義政は完成を見ずに他界した。


お茶の井(左)とお茶の井横の石組跡(右)

東求堂前の池泉には白鶴島(はっかくとう)という中島があり、そこに組まれた三尊石組も西芳寺を手本にしたもの。島の左右に架けられた3枚の石橋は、同じく夢窓国師開山の天龍寺に倣ったものである。
展望所へ向かう途中にあるお茶の井は西芳寺の龍淵水(りゅうえんすい)を手本としたもので、義政はこの湧き水で茶を点てたとされる。このお茶の井の石組は後に、露地では欠かせない蹲踞(つくばい)の原型となった。お茶の井横の石組跡は西芳寺の龍門瀑を模した滝組跡と推定されている。
創建当初は多くの建築物が建つ大庭園であったが、その後の荒廃によって、わずか東求堂と銀閣のみが今に伝えられている。

銀沙灘と向月台


銀閣寺垣

南禅寺から哲学の道を北へ歩き東に曲がると、銀閣寺の参道となる。総門からすぐに鍵の手状に曲がる参道は、応仁の乱の教訓から東山殿の防御が意図されたのであろうか。銀閣寺垣と呼ばれる低い石垣と竹垣(建仁寺垣)の上に高く伸びた樫、椿などの常緑樹が外界と遮断した空間をつくりだしている。
参道の突き当りにある中門をぬけると、東から南にかけて月待山の急斜面がせまり、山懐に包まれた世界があらわれる。左手に銀閣を見ながら進むと、中州や小島を戴く錦鏡池があり、砂を盛った銀沙灘(ぎんしゃだん;白川砂を厚く盛り上げて敷き、砂紋を付けた区画)の奥に本堂に接続して東求堂がある。
今では銀閣寺のシンボルとなっている銀沙灘と向月台(こうげつだい;白川砂を固めた円錐台のオブジェ)は江戸時代中期から後期にかけて造られた。枯山水で平面的に用いた白石を立体的に表現し、背後の月待山と見事に一体化している。斬新な砂のオブジェは銀閣と見事に調和し、類を見ない庭の造景を生み出している。江戸時代の資料に描かれている向月台の高さは今の半分以下で、少しずつ現状のように変えられていったようだ。一説には同時代のヨーロッパの西欧整形式庭園の手法がキリスト教宣教師によってもたらされ、銀閣寺に応用されたものであるともいわれている。


銀閣前の向月台と銀沙灘

義満の北山殿、義政の東山殿はいずれも夢窓国師による西芳寺の影響を受けた山荘であり、東山殿は特にその度合いが強い。北山殿は鹿苑寺、東山殿は慈照寺として今日に至るが、ともに江戸時代初期に大改修を受けており、今日見る姿は室町時代の造営時のものとは大きく変貌している。

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