三重県津市は、日本を代表する貿易港「日本三津」の一つとして栄えた平安時代、伊勢国司北畠氏の本拠として美杉地域に大きな中世都市を形成した室町時代、築城の名手である藤堂高虎が津城を中心とした城下町・宿場町として発展させた江戸時代など、それぞれの時代に重要な役割を果たしてきました。
戦国時代、波乱万丈の生涯を送った女性・お江。豊臣秀頼の母・淀君の妹で、徳川秀忠の妻。三代将軍家光、秀頼の妻・千姫、後水尾天皇の正室・和姫の母となります。彼女を通し、織田、浅井家の血脈は徳川家、天皇家へと受けつがれていきました。
近鉄名古屋線・豊津上野駅から徒歩10分。本城山青少年公園にある伊勢上野城跡。織田信長の弟信包が、津城の仮城として1570年に改修築城した城で、近江国小谷城落城の際、救出されたお市の方母子が一時身を寄せたところと言われ、わずかに周りの土塁跡に城郭の面影が残されています。
また、高台の公園からは、茶々、初、江の三姉妹も眺めたかもしれない、伊勢湾を臨む風景を楽しむことができます。
本城山青少年公園から300mほど足を延ばすと、ひっそりとした趣深い山あいに室町時代の創建と伝えられる円光寺があります。秋、山門にそびえる紅葉が一斉に色づく様は見事です。
津駅から南へ徒歩約30分、津城跡があります。津城と言えば、築城の名手・藤堂高虎の城というイメージですが、織田信包が安濃津城を築城したのがはじまり。以後、 津は城下町として発展していきます。本丸を中心に出丸を置き、幾筋かの河川を城の外堀として活用した城郭は、堅固な城として知られています。
江戸時代に入り、伊予の国(愛媛県)から移封された藤堂高虎は大規模な改修を行いました。石垣を注意深く見ると、信包の時代と高虎の時代に築かれたものの違いが見て取れます。
浅井長政、阿閉貞征(あつじさだゆき)、磯野員昌(いそのかずまさ)、羽柴秀長、豊臣秀吉、徳川家康など、数々の武将に仕えた高虎は「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という名言を残しました。武断派として多くの戦いの場で活躍した高虎は、城の周囲に武家屋敷をつくり、伊予から連れてきた町人たちを岩田川の南に住まわせるなど、築城だけでなく、まちづくりにもその才能を発揮していきます。
城は、明治の終わり頃には外堀が埋められ、現在では、本丸・西の丸・内堀の一部が残され「お城公園、お城西公園」として整備されています。城址内には、藩校「有造館」の正門である入徳門が移築現存しているほか、隅櫓が再建され、公園内には馬にまたがった藤堂高虎の像が立っています。
上野城から移った浅井三姉妹は、北陸の柴田勝家に母お市の方が嫁ぐまで安濃津城南側の局丸(現在の児童公園付近)に暮らしていたのではないかといわれています。
津駅から津城跡にかけては、第11代藩主藤堂高猷(たかゆき)公の別荘を建てたのが始まりとされる桜の名所・津偕楽公園、浅草観音、大須観音と並ぶ日本三観音の一つ津観音などの見どころがたくさんあります。
聖徳太子が全国に建立した四つの四天王寺のうちの一つと言われる四天王寺。近年、境内から奈良時代の古瓦が出土されました。平安時代には、この地方で最も繁栄した寺院として千年以上もの間、伊勢街道を行き交う旅人の安全を見守ってきました。ここには、織田信長、信包(安濃津城主)、お市の生母である、土田御前のお墓があります。
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