コラム「今宵のごちそう」は、シニアの皆様(だけでもないと思いますが)におけるごちそうの意味をちょっと考えるきっかけになればいいなと思って進めてまいります。美味しく、ちょっとだけためになるかもしれません。
高原 純一
食のぐるり株式会社 代表取締役
E-mail : takahara@shokuguru.com
先日多くの生徒を抱えるとある料理家の先生と食事をした時のこと。子供を持つお母さんの料理クラスをお持ちなのですが悩みが尽きないらしい。あまりにも基本的な料理のことができない方が多いとお嘆き。包丁の切り方を知らない、もちろん包丁は砥げない。出汁の取り方を知らない、出汁の種類も知らない。豆腐を切ってと言うと手のひらに豆腐を乗せるところまではよいのですが包丁を手前に引こうとする、それじゃ豆腐だけじゃなくてあんたの手が切れるよ!冗談のようなお話ですがこれがマジョリティだというのです。
世の中がこうなった背景には我々のひとつ前の世代がその子供たち(すなわち僕らの世代)に家事や料理より勉強や受験を優先させ料理をはじめ日々のことの伝承というものを疎かにしてしまったことが原因のひとつと先生曰く。それと同時にスーパーマーケットの影響もありますが、旬という日本の料理の大切な根っこもどこかそっちのけにしてきたようです。時代というのは常に岐路に立たされ何かを得るために他の何かを犠牲にしないと進めないもの。しかしベーシックなしかも生きるすべや生活の知恵、それに日本的なるものなどアイデンティティともいうべきコトやモノを選択肢のあちら側におきざりにするのは少しさびしいように思えてなりません。
先日世田谷の住宅地で親子を集めてハモの骨切りやさばきを楽しむイベントを行いました。子供たちには使い慣れたハサミやカッターを忘れずにと事前に連絡。なぜか?包丁でなくハモをハサミやカッターでおろすからです。最初はおそるおそる、でも見る見るうちに手際よくなり一丁前の料理人の様子。しかしどう見ても工作なのがかわいくておもしろい。お母さんも半信半疑な様子で最初は傍観、でも途中から子供と一緒にワイワイとハモの工作料理を楽しんでおりました。できた料理はハモの天ぷらにみそ汁。落としにハモサラダ。味の方はそんじょそこいらの割烹より美味い。食事の時の会話がはずむはずむ。ハモのことや料理のことに華が咲く。親も子も一緒になって喜んで料理や食に向き合ってみるとそれが本当の勉強になったりする。親も子も一緒に料理やろうかなってきっかけになったりもする。
受験勉強もよいけれど、案外遠回りな勉強がしあわせへの近道だったりするかもしれません。食の伝承、料理の伝承それは難しい技術のことではなくてコミュニケーションの産物のように僕には思えます。