藪田 貫「失われた景観をCGで再現 街の〝遺産〟を呼び起こし継承する」
藪田貫(やぶた ゆたか)/1948年 大阪府松原市生まれ/1973年 大阪大学大学院文学研究科修了/1974〜79年 大阪大学助手/1979〜90年 京都橘女子大学助教授/1990年〜 関西大学文学部教授/2010年〜 関西大学大阪都市遺産研究センター長/2010年 『武士の町大坂』中公新書、中央公論新社/2011年 『大塩平八郎の総合研究』和泉書院
六代目 中村勘九郎インタビュー

 多くの人で賑わう道頓堀界隈。ここにはかつて“五座”と呼ばれる劇場が存在し、歌舞伎や人形浄瑠璃の興業で賑わっていた。昭和60年代までは昔ながらの芝居小屋が残っていたので、アクティブシニア世代なら自身が目にしたり、親世代からその賑わいを伝え聞いたことがあるかもしれない。しかし、その面影は今はない。藪田教授は、大阪が育んだ文化や暮らしを掘り起こし後世に遺す大阪都市遺産研究センターの取り組みとして、この演劇街の様子をCGで再現した。


 「大阪には江戸時代からの建物はほとんど残っていません。当然その時代の記憶を残す人も今はいませんし、建物までなくなってしまうと街の記憶が薄れ、そこで育まれた文化が人々から遠ざかってしまいます。道頓堀も同じく、芝居の街として賑わっていたことを知る人が少なくなってしまいました。そこで道頓堀の街並を再現、それもミニチュアではなく規模を感じられるCGで景観を甦らせました。例えば堺筋にある生駒ビルヂングや中之島図書館など、昔を伝える建物は“点”では残っているものもありますが、景観は“面”で見るもの。こういった試みで、薄れかけた近代大阪の記憶と文化を呼び起こしたい」。


 このほど五座のうちの1つ、角座の設計図が見つかり、設計図に基づいて詳細に小屋の内部を復元する試みを計画されているという。


 「昔の芝居小屋は大きな建設会社ではなく街の大工が建築に携わるため、なかなかまとまった資料は残されていません。今回見つかった貴重な資料から、当時の芝居小屋を疑似体験できるような復元画像を構想しています」。


 息つく間もなくスクラップアンドビルドで次々と様相が移り変わる都市にとって、過去の記憶を宿す建物は遺産とも言える貴重なもの。次世代に遺すべきこの遺産を訪ね改めて大阪の街を歩くことにも、文化的な意義があると言えるだろう。




 「道頓堀は豊臣政権ののちに徳川幕府の命によって水運のために掘削された運河。東横堀川と、現在は埋められてしまった西横堀川、長堀川、阿波堀川なども次々と開削され物流の要として機能し、やがて人々にとって運河は生活の一部となっていきました。これこそ大阪が“水の都”と言われる所以です。かつて船に乗って人や物が行き交ったその風景を再現し、水の都の文化を思い起こすのも面白いでしょう。また庶民的な繁華街と言われる新世界も、実は開発当初とは大きく様子が変わっています。1912年に初代通天閣が完成した当時は、ニューヨークのコニーアイランドを模した遊園地や、寄席、映画館、覗きからくり、相撲茶屋など、現在とは全く違ったジャンルの店で賑わっていました。そんなかつての由緒正しい新世界とも言える街を再現できれば、観光地としてだけでなく、元々大阪に住む人も足を運びたくなる新しいスポットになり、街が活性化するのではないでしょうか」。


 かつて大阪を彩った遺産が、未来の大阪を創るヒントにもなる。藪田教授らの取り組みは大阪の遺産を掘り起こすことだが、その成果が大阪の活性化に貢献する日が来るのかもしれない。そんな藪田教授と同じく、自分が暮らす大阪のために私たちができることは何かないだろうか。もしあるとすれば、それは子や孫と連れ立って大阪の街を歩くことだ。この大阪で積み重ねてきたこれまでの思い出を街と重ね合わせてあれこれ語り歩くことで、個人の記憶も大阪の遺産の一部として次の世代へ受け継がれてゆくだろう。




4ビジュアルでわかりやすく解説
都市遺産「可視化プロジェクト」

大阪都市遺産研究センターでは、その研究成果をもとに都市景観の変遷をビジュアル化し、ホームページで公開している。中でも道頓堀五座のCG画像は精細で、芝居小屋と近隣の建物も合わせて復元。まねき看板や幟など興業時の様子も再現し、今にも観劇に訪れた人々の喧噪が聞こえてきそうなほどリアルな景観が見られる。
URL:http://www.kansai-u.ac.jp/Museum/osaka-toshi
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