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歴史コラム

Presented by 歴史街道推進協議会歴史街道

第81回 歴史街道「戦国・江戸時代ゾーン」

室町幕府の衰退で戦国大名が台頭し、織田信長から豊臣秀吉による全国平定、秀吉亡き後の関ヶ原の戦で徳川家康が天下を取って江戸時代を迎える。天下泰平の江戸時代約260年間の後、幕藩体制を覆す明治維新によって日本は近代国家へと歩み出す。


幻の名城“安土城”

天下統一を目指していた織田信長が、その拠点として1579年に琵琶湖東岸の安土山に築城したのが安土城。わが国で初めて天守閣を備えた城で、高さ46m、外観は5層、内部は地上6階、地下1階という、世界で初めての木造高層城郭建築といわれた。
天守閣は金箔を押した瓦で縁取られ、屋根は赤黄色に焼かれた唐風瓦で葺かれていた。内部は豪華な障壁画で彩られ、地下1階から地上3階までは吹き抜けになっており、中心に宝塔が安置されていた絢爛(けんらん)豪華な城だった。安土町城郭資料館に20分の1の安土城の模型があり、内部の構造もひと目でわかるように工夫されている。

復元・安土城天守外観(信長の館)
復元・安土城天守外観(信長の館)
復元・安土城天守内部(信長の館)
復元・安土城天守内部(信長の館)

「安土町文芸の郷」にある「信長の館」には、安土城天守閣の5、6階部分が原寸大で復元されている。信長は自分を天主として天界をイメージしている。5階は仏教の世界観による理想郷を描いている。金箔の壁と釈迦説法図のふすま絵に囲まれた総朱漆塗りの床の中央に2枚の畳が置かれている。
最上階の6階は天上界を象徴する儒教、道教の世界観で表現されている。床、柱、梁は黒漆塗りで壁と天井は金箔。この金箔の壁には「孔子図」「老子図」「黄帝図」「文王図」などの聖人が描かれている。 しかし、こうした絢爛豪華な安土城も本能寺の変で信長が自刃した後に焼失し、築城後、わずか3年で姿を消した。今は当時をしのぶ石垣が残っているに過ぎない。
安土城に関する資料は少なく“幻の名城”といわれていたが、近年、わずかながらも資料が見つかり、城跡の発掘調査などでその規模や内部構造が解明されてきた。


戦乱による悲劇の女性

勝龍寺跡
勝龍寺跡

戦国時代から織田・豊臣時代、関ヶ原の合戦にかけての戦乱による悲劇の女性のひとりが、明智光秀の三女・細川ガラシャ(本名・玉)と言える。
戦国時代、京都・本能寺で織田信長を討った明智光秀と羽柴秀吉が戦った「天下分け目の戦い」と言われる山崎の合戦の時、明智光秀が本陣を構えたのが長岡京市の勝龍寺城だった。その4年前、勝龍寺城の城主だった細川藤孝の長男・忠興のもとへ光秀の娘・玉が16歳で嫁ぎ、この城で約2年間過ごしている。

山崎の合戦の時には、細川忠興は妻を一時丹後に幽閉して光秀の誘いを断った。細川ガラシャにとっては、嫁ぎ先の勝龍寺城を本拠にした父・光秀が戦に破れ、この城から敗走していった。戦国の悲劇とロマンが秘められた城と言える。


細川ガラシャの墓(崇禅寺)
細川ガラシャの墓(崇禅寺)

ガラシャの悲劇はまだ続く。関ヶ原の合戦で東軍の徳川家康に味方しようとした細川忠興に対し、西軍の石田三成はガラシャを人質に取ろうとした。ガラシャはこれを拒み、武将の妻らしく屋敷に火を放ち、自らを家老に討たせて命を絶った。そのガラシャの墓が大阪市東淀川区の崇禅寺にある。
ガラシャが忠興とともに住み、命を絶った屋敷があった大阪市中央区森の宮には 「越中井」と呼ばれる井戸が残っている。そのそばにはガラシャの辞世の歌の石碑も建っている。近くの聖マリヤ大聖堂にはガラシャ夫人の像が建っている。



商いの町、大阪船場

船場センタービル
船場センタービル

大阪・船場と言えば“商いの町”として知られ、大小の店が軒を連ねて熱の入った客との取引が繰り広げられている活気あふれる町の印象が強い。
船場は、北は土佐堀川から南は長堀川(現・長堀通)、東は東横堀川(現・阪神高速南行線)から西は西横堀川(現・阪神高速北行線)まで南北約2km、東西約1kmの地域を言う。
昔は本町通を境に北組、南組に分かれていたが、今は大阪証券取引所、証券会社、銀行、各業種の会社、製薬会社などの集まる北船場、繊維品を扱う店が中心の中船場、若者をターゲットにした店が多い南船場に区分されて呼ばれている。


豊臣秀吉が大坂城を築き大勢の家臣団が集まり、武士たちの武器、武具、それに食料、生活用品が大量に必要になり、城下町の整備が急務となった。そこで秀吉は大阪城の西側を開発し、堺や京都・伏見から商工業者を強制的に大阪城下町へ移住させたのが商人の町・船場の始まりとなる。
船場の地名は大阪城の馬を洗う「洗馬」、海岸の波が打ち寄せていた「千波」「仙波」、この地がよく戦いの地になったことから「戦場」、諸国から物資を運んでくる船が着く「船場」などの諸説があるが、素直に船が着く「船場」を取るのが自然のようだ。
江戸時代、徳川幕府が大阪城の城下町を発展させるため、税の免除、楽市楽座の設置、関所の廃止などの優遇策を取ったことで両替商や諸国の産物を扱う商人、漢方薬を扱う薬種問屋などの店が次々に開店した。米を始め諸国の産物はほとんど大阪に集まり、天下の台所を取り仕切る経済の中心地へと発展していった。



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