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歴史コラム

Presented by 歴史街道推進協議会歴史街道

第78回 歴史街道「古代史ゾーン(伊勢~飛鳥)」

幻の宮・斎宮


斎王宮阯碑

伊勢から大和にかけての地域に残る歴史遺産は、いわゆる古代社会の祭祀(さいし)に関係するものや律令国家に関わるものが多い。
伊勢神宮の西10kmの所にある明和町には、七世紀後半の天武天皇時代から南北朝時代まで約660年にわたって「斎宮」と呼ばれる宮があった。斎宮は天皇の即位ごとに伊勢に派遣され、伊勢神宮に仕える斎王の御殿と官人の役所があった所。斎宮には斎王に仕える女官が約70人、官人や事務を扱う人々が700人程いたと見られている。その御殿は壮大、華麗で威容を誇っていたと言われている。
斎王として派遣されたのは未婚の内親王や女王で歴代64人を数える。占いで斎王に選ばれた女性は、親、兄弟らから引き離され、3年間、精進潔斎した後、大勢の供をつれ、5泊6日をかけて伊勢・斎宮まで旅をした。この斎王群行は華麗な行列で、その道中の町や村では大変な話題になったと言われている。
斎王に選ばれたた女性が日本書紀、源氏物語、伊勢物語などに取りあげられるなどのエピソードも多い。



斎宮歴史博物館

明和町の近鉄斎宮駅付近は「斎宮」と呼ばれる地名だが、斎宮がどこにあったのかわからず「幻の宮」として語り継がれていた。昭和45年(1970)、住宅団地造成をきっかけに事前発掘調査が行われた。その結果、掘立柱建物群跡や陶器・土器類などが多数出土し、斎宮の存在が明らかになった。発掘調査された所は斎宮跡の一部で、その後の調査で斎宮の範囲は東西2km、南北700m、約140haもの広大な地域におよぶことがわかった。
斎宮跡は国の史跡に指定され、ここには「斎宮歴史博物館」や「いつきのみや歴史体験館」などがある。


神話伝説の山里


墨坂神社

榛原は交通の要所として古代から人の往来が多かった。特に伊勢街道筋は伊勢参りの人々で大変なにぎわいを見せ、宿場町として栄えた。神武天皇の東征にまつわる記紀伝説の遺跡、万葉史跡など古代史に彩られた山里。
東征に向かう途中、熊野で道に迷った神武天皇の軍隊を道案内したというのが武角身命(たけつぬみのみこと)。山野を行く姿が勇猛で、あたかも烏が飛ぶようだったので八咫烏(やたがらす)の名を賜った。この武角身命を祭ったのが八咫烏神社で慶雲2年(705)創建と言われている。賀茂氏の祖先神で京都・賀茂御祖神社も同じ武角身命が祭神。
崇神天皇の時、疫病が流行した。天皇に「宇陀の墨坂の神に赤色の盾と矛を祭り、逢坂の神に黒色の盾と矛を祭れ」と夢のお告げがあった。お告げの通りにすると疫病は治まったと古事記にあり、墨坂神社は崇神天皇のころからある由緒ある神社と言われている。緑の中に映える朱塗りの本殿は、奈良・春日大社の本殿を譲り受けて移築した。
鳥見山の頂上近くにある鳥見山公園は勾玉池を中心に神武天皇聖跡伝承地顕彰碑や万葉歌碑などがある自然公園。春には数千本のつつじの名所として知られ、山桜も美しく咲き、秋は紅葉が格別。展望台からは眼下に大和盆地、宇陀の山容を一望でき、静寂な聖跡からの眺めは絶景で、多くのハイカーに人気がある。


大和茶発祥の地「仏隆寺」


仏隆寺石室(平安前期、重要文化財)

茅ぶきの民家が点在する榛原の山里にひっそりとたたずむのが仏隆寺。嘉祥3年(850)に空海の高弟・堅恵によって創建されたと言われる宇陀地方の古刹。山門へ続く石段は「大和三名段」のひとつに数えあげられている。本堂には開祖・堅恵大徳像があり、境内には堅恵の墓と言われる平安時代の珍しい宝形造りの石室がある。石室の奥には鎌倉時代の五輪塔が安置されている。ほかに元徳2年(1330)の銘がある十三重の石塔や仏画などの寺宝も多い。本尊は十一面観音菩薩立像。
寺へ登る石段脇には、奈良県の天然記念物に指定されている樹齢900年と言われる山桜があり、春には四方に伸びた枝いっぱいに見事な花をつける。秋には参道の石段の両側に咲くヒガンバナも素晴らしいと言う。
仏隆寺は大和茶発祥の地とも言われている。空海が中国・唐から帰国したとき持ち帰った茶の種子を、開祖の堅恵が境内で栽培させたのが始まりと伝えられている。以来、大和茶として奈良県内で栽培されており、年代的にもわが国で最初の茶栽培ではないかと言われる。寺には空海が唐から持ち帰ったとされる石の茶臼もある。


石上(いそのかみ)神宮


石上神宮楼門(1318年鎌倉時代、重要文化財)

天理市の山の辺の道近くの石上神宮は、日本最古の神社と言われている。御神体は布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)と言う神剣。神武天皇の東征の時、この剣で賊を平定したと言われ、長らく宮廷にあったが、崇神天皇がこの地に埋めて禁足地にしたのがこの神社の始まりと伝えられている。明治7年(1874)、宮司が政府の許可を得てこの禁足地を発掘調査したところ、数多くの勾玉類、武器、装身具などが出土した。
神社には古代から多くの武器類が保存されていた。大和朝廷の武器庫の役目を果たし、朝廷の軍事担当だった物部氏が総氏神としてこの神社を護っていた。



七支刀(伝69年、国宝)

鎌倉時代前期の建立と見られる拝殿は国宝に指定されている。拝殿としては宇治上神社の拝殿と共にわが国で最も古いものである。また、摂社出雲建雄神社拝殿も国宝で、石上神宮の近くにあって今は廃寺となってしまった内山永久寺の鎮守・住吉神社の拝殿を大正3年(1914)に現在地に移したものだ。
古くから石上神宮に伝わる国宝の七支刀(しちしとう)は、長さ約75cmで鹿の角のように左右にそれぞれ3本の支刀がある特異な形をした刀。刀身の表裏に61字の金象嵌(きんぞうがん)文字が刻まれている。この銘文から朝鮮の百済王から贈られたものと見られ、当時の日朝関係を物語る貴重な資料と言える。



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