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歴史コラム

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第60回 日本庭園の変遷を巡る②(京都市「神泉苑」)

日本庭園は水・石・植栽及び景物(燈篭、石垣などの点景物)の組み合わせから成り立ち、時代によりさまざまな様式を生み、新しい景観を造りだした。
独自の様式を持つ「日本庭園」のデザインが確立された時期については、国風文化が確立され花開いた平安時代をイメージする人が多い。
しかし、発掘復元された奈良の東院庭園等において、洲浜、石組・景石といった後世の日本庭園に引き継がれる独自の様々なデザインが用いられていることから、奈良時代の庭園が百済や新羅等のデザインや技術によって造られた飛鳥時代の宮殿庭園のようなものではなく、既にこれらの庭園デザインが奈良時代後期には定着していたことが分かっている。こうした近年の発掘調査や研究から、日本庭園のデザインは奈良時代に確立され、平安時代にその洗練の度合いを深めたといわれている。

平安京の立地的特性

東山、北山、西山に三方を囲まれ、高野川、賀茂川、桂川をはじめとした大小の河川が南部の低地に向かって流れ下る京都盆地。河川ごとに扇状地を形成する地質が異なることから、地質が変化する境界付近などで伏流水が噴出する現象が見られ、かつてはそこここに池沼が見られた。盆地を囲う山並みの姿の美しさとともに、こうした豊かな水脈は平安京の持つ作庭上の大きな利点でもあったようだ。
平安時代の京都は右京と左京に分かれ、居住に適した左京に人々が集まり、右京は湿潤な土地柄なために閑散とした状況であったという。
一説によると、平安初期には西側(右京)を「長安」、東側(左京)を「洛陽」と呼んだが、右京の「長安」側は湿地帯が多かったことなどから程なく廃れ、市街地は実質的に左京の「洛陽」だけとなった。このため、「洛陽」が京都を指す言葉になり、その一字「洛」だけでも京都を意味するようになったと云われている。

平安初期の代表的庭園


御池通に面する神泉苑鳥居

政治的に律令制がそれなりに保持されていた平安時代の前期から10世紀半ばの時代には、こうした立地を活かした大規模な池庭が築造されたことが文献史料から知ることができる。
天皇や貴族たちによって数多くの大池泉庭園(日本庭園では「池」のことを「池泉(ちせん)」という)が造られたが、残念ながら、今日に当時の完全な姿は残されていない。
ただ、当初の規模とは比べるべくもないが、京都市中京区の二条城南方に位置する東寺真言宗の寺院・神泉苑(しんせんえん)に、その名残を見ることができる。
神泉苑は平安京大内裏(だいだいり)のすぐ東南の地に湖沼の一部を利用して禁苑として造営されたもので、平安遷都と同時に着工され、常に清泉を湧出するところからこの名称が付けられた。
禁苑とは宮中にある庭のことで、上代中国の専制君主が豪華壮大な苑池、池を中心とした自然の景観をそのままとり入れた幽遠豪壮なものを設けることによって自らの偉大さを示したのをその範とする。
造営時の境域は、北は二条より南は三条まで、東は大宮より西は壬生大路に画した南北四町(400m)、東西二町(200m)という広大なものであった。現在の御池通は、大きな池があった当苑の横を通っていたことにその名称が由来すると云われている。

神泉苑の歴史的変遷


善女龍王社

神泉苑は涸れることのない泉にちなんで、しばしば雨乞いの祈りの場となった。中でも有名なのが824年の大干ばつの時、西寺の守敏(しゅびん)と東寺の空海による祈雨の法を競いである。天竺(インド)の池にすむ龍神「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」を勧請した空海が勝ち、以降、祈雨の霊場として厚く信仰されるようになったという。現在も境内には、「善女龍王」が祀られている。
869年、東北で地震が起こり疫病も流行したため、神泉苑で御霊会が行われた。祇園社(現在の八坂神社)に祀られる牛頭天王が効力を持つとされたため、祇園社から神霊を乗せた神輿を出して神泉苑に運び入れ、その南端に当時日本の国の数である66本の矛を立てて鎮魂。これが祇園祭の始まりとされ、現在も祇園祭還幸祭において中御輿が神泉苑に入る。


法成(ほうじょう)橋
神泉苑には桓武天皇をはじめとして歴代の天皇がしばしば行幸し曲宴、花見、釣魚(ちょうぎょ)、観魚を楽しんでいる。しかし、10世紀になり朝廷の権威が衰えるにつれて行幸も途絶え、禁苑としての役割は失われた。
中世以降は荒廃し、1603年、徳川家康が二条城を築城するにあたって神泉苑の北半分は城に取り込まれて縮小する。神泉苑の水源は二条城の堀水に使われた。現在の神泉苑は、筑紫の僧覚雅(快雅)が1607年から1615年~1624年に掛けて復興を図ったもので、弘法大師(空海)との縁によってこの時から東寺真言宗の寺院となった。
1990(平成2)年、京都市営地下鉄東西線工事の際の発掘調査で平安時代の神泉苑遺構が確認されている。


法成橋から観る法成就池

法成就池(北側)から観る善女龍王社



■観光情報はこちらから
京都市観光情報 http://kyokanko.or.jp/

■アクセス
神泉苑へのアクセス http://www.shinsenen.org/access.html

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